人生寄り道の連続

幸せとは何か、心の底から笑顔になれる日まで!

女性の管理職登用を目指すという会社方針

こんばんは、くろねこです。

f:id:kuronek0v:20170916231205j:plain

自分の不安定さに嫌気がさす今日この頃です。ブログを書くということは自分の頭の中にある言葉を吐き出すにはもってこいのツールなのかもしれません。初めはなかなか手が進まなくても、一旦思っていることを吐き出し始めたら、勝手に文字が埋まってくる。尚且つ自分の頭の中が整理できていたり。もっと有効的に活用しようと思います。

女性の管理職比率を伸ばす。を会社方針としてまで挙げる必要性。

学生の頃、就活をしていた時はこの”女性の管理職比率”というワードに少なからず影響を受け、選択の指標として注目していたところがあった。元々私が狙っていた業界は男社会だったし、結婚や出産などのイベントがあったとしても働き続けたいと思っていたからこそ、そういうワードに敏感になっていたのかもしれない。でもいざ社会人となって、組織の中から俯瞰した時に、”この会社で女性の管理職を目指すなんて、考えられない”と思ってしまった。なんというか、自分が会社生活をしていてある意味色眼鏡で見られているというか、女をそういう扱いでしか見ていないんだなと思うことしかない。それで管理職なんかなったら、変な疑惑も持たれるし、実力ないのに会社方針だけで管理職になったとか、そんなことしか起こり得ないと思う。そもそも、管理職云々を会社方針としてまで定めなくては良いのでは。実力や飛び抜けたスキルがある人(マネジメント力があるとかetc.)は自然と上に行くだろうし、それらスキルに加えて”上に行きたい”と思うモチベーションの高い人間が上に行けばいいと思う。組織はそうであるべきで、そうであってほしい。古株から見たら、そんなの社会を知らない甘ちゃんの理想に過ぎないと思われるかもしれないが、そんな甘ちゃんだからこそ、これからの組織はそうであってほしいと願う。

結局女はナメられている。

どの会社も社内政治とは切っても切れない関係なんだとようやく気付いた。半ば諦め気味で、そう思ってしまう時点で働く意欲が削がれるんだけど。誰はどうだとか仕事ができないとかそんなことはあってしょうがないと思う。さすがにそういう陰口とか評価とか愚痴が全く出てこない組織なんて、社会どこを見ても平和主義的世界はないので、人のことをとやかくいうことは別に咎めない。ただ、この対象が女になった途端、誰とできてるや媚び売ってるだ、愛想がいいだけだとか、女だから甘やかされているだとか、顔がいいとか、スタイルがどうこうとかそんな性差別的ワードで悪評が加わる。そんなんだから、管理職になりたいとかの以前に、この会社にそんな管理職登用の対象になるまでの長期間居座りたくない。もっと実力主義であってくれ。

ただ職場の人間として普通に接したいだけなのに、勘違いされる。

男社会にいると、距離感も非常に難しい。学生のことから周りは男ばっかりだったけど、変な損得を考えて付き合う人間はいなかったし、性別隔てなく仲良く関係性を気づけていた。それなのに、社会に出た途端、しょうもない男の多さに呆れる。もっと普通に接しさせてくれ。普通にしているのに、距離感勘違いして縮めてくるやつ。自意識過剰にもほどがある。こういうとき、自分が男だったらもっと上手く距離感保って、仕事もスムーズにいくんだろうなと思ってしまう。分からないことを聞いたり、いろんな話も聞けたり、そんな単純なことでさえ、女として意識されてしまうとやりづらくてしょうがない。

会社方針として上げざるを得ない時点で、まだまだ女性の社会進出への課題は多い。

自分が今所属している会社のことしか知らないからそう思うのかもしれない。ただ、組織的にはとてもゆるい部類だと思うし、かなりホワイト寄りだとも思う。だからこそ、余計女性が働くということに対しては難しい社会であるとそう感じる。わざわざ、会社方針として上げなくて済むようになった時、男も女も性別関係なく、正当に評価されていると感じることができるのかな。組織の舵取りは、しょうもない人間が行うと組織的成長を妨げるし、部下もついてこない。管理職に成るべくしてなる人たちが、上に立って指揮をとる。だから会社は成長する。そんな会社が増えれば増えるほど、日本もマシになるんじゃないかな。当面この状況は変わらない気がするし、だからこそ、早く自分に実力をつけて、正当に評価を受けれることに時間をかけたい。