人生寄り道の連続

幸せとは何か、心の底から笑顔になれる日まで!

選択肢は多ければ多いほど幸せなのか

こんばんは、くろねこです。

f:id:kuronek0v:20171011233934j:plain

秋っぽい気候になってきましたね。秋には色んな思い出があります。けど、どれもしんみりとした気持ちになる思い出たちばかり。なんかもっと気持ちがパッと明るくなるような出来事ないかな。毎日どんよりしてる。

自分で選択できる人生。

今までの人生、どんな状況になっても、自分を守るためと、選択肢はできるだけ多く持てるように生きてきた。これは保守的な私の、一種の人生のリスク回避的意味合いも持っていた。リスクを回避するときに、様々な観点で総合的に判断したときに最良の選択ができるように選択肢を持つことが、幸せな人生を歩む手段だと思い込んでいた。でも実際は、そうじゃなかった。っていうお話。

自分で選択できるということは、自由と引き換えに責任を負うこと。

自分で選択できるほどの選択肢を持てるなんて恵まれている。いつ、どこで、何をしようか、自分で選べるのだから。自分の好きなように、自由に選択することができるなんて、万人ができることではない。世の中には生きていくことでさえ精一杯の人たちだっている。限られた世界でしか生きていけない人たちだっている。自由を持った私は幸せこの上ない。でもその判断を下すのは自分。その判断を下したからには、自分の選択と行動に責任を持たなければいけない。自分が選んだ選択肢に不平不満を言う資格なんてない。だって、自分で決めたことなんだから。

悩めるということは贅沢なこと。

この選択であっているのだろうか。正しいのだろうか。もっと他の道があるのではないだろうか。人が選択するとき、少なからず頭の中で天秤をかけているのではないだろうか。選択肢が多ければ多いほど、天秤は揺れ動く。ただし、選択肢を持ち合わせていない人間はどうだろうか。天秤にかけるモノもなく、揺れ動くことはない。だから悩むことさえできない。悩めるということは誰しもができることではないと思う。今、悩みが絶えず、毎日悶々としている。こんなに悩めるなんて、たくさんの選択肢を持つことができた自分を羨むべきなのかもしれない。広い視野を持てた環境に感謝すべきなのかもしれない。

悩みに翻弄されないように、判断基準と自分の信念を持つ。

自分のリスク回避だと思って揃えてきた選択肢に、振り回されているようでは元も子もない。いつかはその選択肢から何かを選ばなければいけない時が来る。そのときに自分の判断に責任を持てるよう、後悔しないようにしっかりと見極めのできる目と信念を持ちたい。確固とした判断基準や信念がなければいつまでも決めきれず、もしくは決めた後でさえも天秤は揺れ動き続く。過去の決断に揺れ動かされるような人生は歩みたくない。どんな時でも、選択をした後は後ろを振り向かず、自分の決断に自信を持って前へ進んで生きたい。