人生寄り道の連続

幸せとは何か、心の底から笑顔になれる日まで!

仕事は仕事なんだから、仕事する場で無駄口叩くなよ。おしゃべりしたいなら他所でして。

こんばんは、くろねこです。

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仕事が楽しくなくて、溜まってます。仕事なんか楽しいわけない、なんて言う方もいるかもしれませんが、少なくとも私はその場を楽しもうと言う努力をして、自分なりに楽しさを見出して今まで生きてきた。あ、また”今まで”。すぐ昔の自分と比べてしまう。悪いクセ。でもそんなクセは、今回置いといて。とにかく今それができない。どうしちゃったんだろう自分。

ーーーーーーーー今日感じたこと。前から思っていたことだけど、書き留めておく。ーーーーーーーー

仕事中なのに仕事以外の話をしている人

単におしゃべりが好きな人。自分の存在をアピールするために、無駄に大声で話している人。誰ともかまわず声をかけまくる人。もしくは、相手との距離を縮めて、仕事を円滑に進めるために仕事以外の話をしている人。様々。入社したてのことは私も実は後者だった。コミュニケーションが大事だと言う言葉を履き違えていた部分もあるし、学生までのコミュニケーションの形が、相手との距離を縮めて、自分のプラスになるようにするための一つの手段として考えていた。文字に起こすとつくづく嫌な奴だな。(笑)

仕事中に仕事以外の話をするなら、場所を弁えるべきだと思った。

話したいなら好きにすればいい。でも話す場所は考える必要があると思う。以前、私も指摘をされたことがあった。仕事場で無駄口を叩いていたから。私にとっては無駄口ではなく、相手との距離を縮めるため、仕事のための一つの手段だった。でも他人からしたら無駄口。こいつ、仕事してないな。お金もらってるくせに口ばっかり動かして。とか。仕事場に何しにきてんだよって言われたこともあった。その時はなにも気にしてなかった。自分にとって、仕事が円滑に進めばそれで良かったから。でも、今思うとさぞかし周囲を不愉快な気分にさせてしまっていたんだろうなと思う。

自分が無駄口を叩くのをやめてから、ようやく気付いた。

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仕事のやり方は人それぞれ。

そのやり方を人に押し付ける必要はないと思うし、好きにすればいいと思う。でも周囲に迷惑をかけたり、不愉快な思いをさせてしまったりって言うのはやっぱり違うような気もしたり。そこまでしなくても仕事上の人との距離って保てるんじゃないのかな。それが自然とできるようになって、ようやく本当のコミュニケーションスキルって言えるんじゃないのかな。

特に男社会で働く女にとって、距離感はつくづく大事だと実感した。学生の時みたいに男女関わらずみんな仲良くなんて生温いこと言ってたら、ダメなんだね。社会はそんな綺麗なところではなかった。仕事中に性別で人を見るなよ。勘違いするなよ。こっちは仕事上建前で対応しているんだから。

 

そう見られたくないなら、自分が変われって?塩対応すればそんな風に見られないって?なんで相手の勘違いのために、自分が嫌な奴を演じなきゃいけないの?それは自分の生き方に反する気がして嫌なんだけど。私は誰に対しても平等に接したいだけなのに。そうするしか仕事上の関係は築けないのかな。つくづく嫌な環境だ。

たとえその場が嫌でも、勇気がなければその場に居続ける

こんばんは、くろねこです。

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今日は台風。電車も止まって、会社も休みになるかなーって思ってたのに、出勤時間になると案外平気で凹みました。ただでさえ月曜日でげんなりしていたのに。無駄に期待してしまったがために余計に凹むという・・・これぞ悪循環。

 

今日は感情日記です。糸が切れてしまったので一度吐き出す。

 

仕事も嫌、出張も嫌。でも今の仕事をしている。

すぐにその場を離れないのは、先を見通せる頭があって、賢い証拠なのか。それともただ、今より改善されるかどうか分からないことに対して、不安で、一歩踏み出せず、単に勇気がないか。私はきっと後者なのだろう。とりあえず、今は精神的に我慢さえすれば、物理的な余裕は確保できる。特に金銭面。昔から我慢強い子だったな。まさかこんなところで発揮してしまうとは。良いのか悪いのか。

それ以上のめり込まないようにブレーキを引く自分がいる。

我慢強いのに合わせて、嫌な状況でも割と楽しみを見出す術を身につけてしまっていた。普通に考えたら、この上ないスキルだと思う。だけど、それをさせてくれないある人の言葉。現状が辛いから、楽しもうと思って頑張りたいのに、頑張らせてもらえない。なぜならその人の言葉を思い出すから。楽しんだら、その人に嫌われるから。私にとってはその人の言葉は裏切りたくなかった。頑張らなきゃ、ちゃんとしなきゃ、仕事なんだからって頑張ろうとしている自分と、本当はやりたくない仕事だし、頑張ったらその人を悲しませてしまうし。この1年ずっとその葛藤に悩まされてきた。楽しまないように、無意識にブレーキを踏んでる。

そんなに私のことを否定しないで。

もっと私の中身を見て。本当に私が頑張りたいことを応援してほしい。仕事だって嫌ながらも頑張って耐えてる。それを否定するくらいなら、私が仕事をしないでいいようにしてよ。それができないなら否定なんかしないで。もっと私という人間を見てほしい。

自分の中のプラスを引き出してくれる人と、マイナスを引き出す人

こんばんは、くろねこです。

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ご無沙汰しておりました。やっぱりブログを書いている方が日常的に脳みその中が整理されている感じがします。スッキリしてる感覚?と言うのかな。やっぱりどこかで外に吐き出すってことは大事なんだと思う。それに、ピアノ弾いた後とかも脳の回転が少しはまともになってる気がする。

これは思ったことをすぐ忘れてしまう、自分のための備忘録。ほんと病的なぐらい記憶力が悪くなったな。こんなに自分、ポンコツだったっけ(笑)

関わる人によって自分と言う人間が変わっているような気がする。

やっぱり人に影響されやすいのかな。確かに共感度は全体的に高めなような気もしていたけど、あまりにも関わる人によって自分のプラスとマイナスの出てき方が違う。

ある人と関わっているときは、自分のプラス面をよく引き出してくれて自己肯定感も上がったり、自信がついたり、自然と笑顔になってた。出て来る言葉もポジティブな言葉ばかり。その時はしっかり気づけていなかったけど、私の良いところをいっぱい引き出してくれて、毎日、楽しかったな。

ある人と関わると否定ばかりされて、自分の存在価値すら感じれずに凹むばかり。それに加えて、そう言う相手と接するときに攻撃的になってしまったり、卑屈になってしまったり、悪い部分が膿のようにたくさん出て来る。こういう人と関わることはなかったし、関わりたくなかったから、なんか違和感を感じたら距離を取るようにしていて気づかなかったけど、今なかなか距離が取れなくて困ってる。この人と一緒にいると、あの明るい自分が嘘のように別人になる。気持ちも落ち込む。一緒にいて全然楽しくない。

相手と同じ熱量でしか、相手に接することができない自分がいる。

ポジティブな人と一緒にいると、自然と楽しいし、そう言う人に接する時は気持ちも優しくなる。自分に対して優しい人、温かい人、大切に思ってくれている人、そう言うのを感じれる人に対しては、同じように相手を大切にできる。

ネガティブな人、自分のマイナスを引き出して来るような人と接していると、この人は相手に気を遣えない人なんだ、相手がこう言われたらどんな気持ちになるだろうって、相手の立場に立てない人だって思うと雑な扱いしかできない。だって、こっちが気を遣ったところで、相手には伝わらないと思うから。だから思ったことも平気で言えるし、大切に接したところで、返ってくるのは自分が傷つくことだったり、大切にされていないような発言だったりなんだから、適当になっちゃうよね。

こんなんじゃ、いつまでたっても人を好きになれないよ! (笑)

好きになっても好きの熱量が一緒じゃないと、どこかでダメになる。一緒にいても意味ないなとか考えちゃう。それって、本当にその人の事を好きじゃないって事なのかな。

この人なら、どんな扱いをされても自分が好きなんだから一緒にいたい。相手が自分を好きかどうかの度合いは関係ない。自分が好きだから好きなんだ!って思える人に出会いたいな。

選択肢は多ければ多いほど幸せなのか

こんばんは、くろねこです。

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秋っぽい気候になってきましたね。秋には色んな思い出があります。けど、どれもしんみりとした気持ちになる思い出たちばかり。なんかもっと気持ちがパッと明るくなるような出来事ないかな。毎日どんよりしてる。

自分で選択できる人生。

今までの人生、どんな状況になっても、自分を守るためと、選択肢はできるだけ多く持てるように生きてきた。これは保守的な私の、一種の人生のリスク回避的意味合いも持っていた。リスクを回避するときに、様々な観点で総合的に判断したときに最良の選択ができるように選択肢を持つことが、幸せな人生を歩む手段だと思い込んでいた。でも実際は、そうじゃなかった。っていうお話。

自分で選択できるということは、自由と引き換えに責任を負うこと。

自分で選択できるほどの選択肢を持てるなんて恵まれている。いつ、どこで、何をしようか、自分で選べるのだから。自分の好きなように、自由に選択することができるなんて、万人ができることではない。世の中には生きていくことでさえ精一杯の人たちだっている。限られた世界でしか生きていけない人たちだっている。自由を持った私は幸せこの上ない。でもその判断を下すのは自分。その判断を下したからには、自分の選択と行動に責任を持たなければいけない。自分が選んだ選択肢に不平不満を言う資格なんてない。だって、自分で決めたことなんだから。

悩めるということは贅沢なこと。

この選択であっているのだろうか。正しいのだろうか。もっと他の道があるのではないだろうか。人が選択するとき、少なからず頭の中で天秤をかけているのではないだろうか。選択肢が多ければ多いほど、天秤は揺れ動く。ただし、選択肢を持ち合わせていない人間はどうだろうか。天秤にかけるモノもなく、揺れ動くことはない。だから悩むことさえできない。悩めるということは誰しもができることではないと思う。今、悩みが絶えず、毎日悶々としている。こんなに悩めるなんて、たくさんの選択肢を持つことができた自分を羨むべきなのかもしれない。広い視野を持てた環境に感謝すべきなのかもしれない。

悩みに翻弄されないように、判断基準と自分の信念を持つ。

自分のリスク回避だと思って揃えてきた選択肢に、振り回されているようでは元も子もない。いつかはその選択肢から何かを選ばなければいけない時が来る。そのときに自分の判断に責任を持てるよう、後悔しないようにしっかりと見極めのできる目と信念を持ちたい。確固とした判断基準や信念がなければいつまでも決めきれず、もしくは決めた後でさえも天秤は揺れ動き続く。過去の決断に揺れ動かされるような人生は歩みたくない。どんな時でも、選択をした後は後ろを振り向かず、自分の決断に自信を持って前へ進んで生きたい。

仮想通貨は衰退したのではなかったのか

こんばんは、くろねこです。

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お久しぶりです。周囲で色々な変化があり、ご無沙汰しておりました。周囲を取り巻く環境が変化することが多い毎日。平凡な毎日に退屈してしまう私にとっては良いことなのかな。でもできるだけ、悪い変動要因は作りたくないものです。

仮想通貨に対する世界の見方

中国市場のビットコイン取引所が完全に閉鎖されて早1ヶ月。ちょうど、このニュースが出回る数日前にビットコイン取引に踏み切り、少額ではあるものの投資?したところでした。まぁ読みが外れるというか、タイミングが良すぎるといいますか。しかもこれに加えて、アメリカのお偉いさんがビットコインは詐欺だ的発言をするものだから、追い討ちをかけるように下がる下がる。。瞬く間に下落しましたね(笑)結構仮想通貨を取り巻く環境は向かい風なんだなと感じつつ様子を見ておりました。まぁお試しくらいで始めたので、大きな打撃になっていないなかったのでぼーっとしていられたというのが事実ですが。

ビットコイン回復の兆し?

とはいいながらも、日本国内では様々な企業がビットコイン対応のシステムを次々と導入していますね、有名どころだとビックカメラとか。最近ではビットコインを円建てでチャージできるVISAカードとかも出たようですね(これに関してはまだ下調べ不足ではありますが)。そして市場も順調に回復。一時の落ち込みをもろともせずに、上回る勢いで回復しております。あの下落時にビビって撤退しなくてよかった(笑)当面は様子見です。FXと違って土日も取引できるので、暇つぶしにはいい感じです。コツコツと小金稼ぎに勤しもうと思う今日この頃。

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男女の出張。社会の中ではごく普通のことなのだろうか。

こんばんは、くろねこです。

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最近破局?しました。失恋。男女差別しているようで嫌だけど、どうしても女が社会で働くことは難しいし理解されにくいなと思ってしまう。その結果がこれ。仕事がプライベートを侵食してきた。大切な人を失ってしまった。そもそもが曖昧な関係だったし、彼の本気度も分からなくて、仕事を辞めるという決断がすぐにできなかったっていう、自分の意思の弱さもあるのだけど。

世の中で働いている人にとって、男女の出張は当たり前のことなのか?それとも可笑しな光景なのだろうか。

入社した頃って、所属したコミュニティで”社会人とは”という全ての判断基準が備わってくると思います。それが3、4年目にして、違和感を感じるように。自分が所属している社会は普通なのか。それともおかしいのか。男社会に女がいるからおかしなことになるのかな。

好き好んで、異性と出張なんか行かない。

男社会の中で働いでいます。仕事柄、稀に出張に行くこともあります。そうなると一人の場合を除いて、大半が男性と一緒に出向くことになるのですが、彼には理解してもらうことができませんでした。私だって、好き好んで男性と出張に行きたいなんて思わない。ただ、今自分に与えられている仕事を早く覚えて、ちゃんと全うしたいという気持ちだけなのに。男性同士の出張であれば、移動も一緒であったとしても、普通の光景なんだろうけど、男女が並んで移動していると変な光景だと思われてしまいますよね。私だってそういうのは嫌だし、周りにも変な目で見られている気もして行きたくない。でも出張だと言われたら、断ること=仕事放棄だという認識もあって、早く自立して、自分で選択できるような、意思決定できるようになることが、現状抜け出すための解決策になるのだと思っていました。

異性と出張に行くのが嫌なら、その仕事を辞めてしまえばいい。

辞めれないのはその仕事が好きだから。異性と出張に行くのが好きだからだ。と言われてしまいました。本当に異性と出張に行くのが嫌なら、その仕事は引き受けないはずだ。それができないってことは、自分のことを本気で好きじゃないということだ。そう言われてしまうと、自分の中で何かぐちゃっと、混乱してしまいました。仕事と自分、どっちが大事なの、まさか男に言われるなんで思ってもなかったし。でもおっしゃる通り、正論のような気してしまった。けど、何かが違う。そう思ってしまったのは可笑しなことなのでしょうか。すぐに辞めれるのであれば、辞めるに決まってる。そこまでいうのなら、私の生活を支えてくれるのかと思いきや、そういうわけでもないし。そんな曖昧な彼の態度を見ていたら、彼のことも信用できなくなってきてしまっていたりして。

私だって、こういう仕事をしたくないから、彼がいうように、自分で意思決定できるような仕事を収入源にできるように、脱サラだとか、他の仕事を考えていたのに。それももはや意味無し。だからこそ、他人に左右されるのはもう辞めようと思ったんだけど。”異性と仕事をすることに違和感を感じないような人間は信用できない”そう言われてしまうと、脱サラしかないなって思ったんですよね。そして自分で稼ぐ方法を見つける以外解決策はないと思って模索してたんですけど。もう人として信用してもらえないようです。もう何がなんだか分かんなくて虚しさしかないです。

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男社会で利用されているような感覚に陥る。

女だからって足元見られてる感もすごくあるんですよね。会食とか出張とか。それってしょうがないことなんですかね。それが嫌なら、仕事を変えるしかないんですかね。もっと早く自分が自立すれば済むだけの話なんですかね。よく、女ならその立場をうまく利用してやるくらいの気持ちで、女であることを武器として捉えればいいとかも聞きますけど、それってどうなんでしょうか。もっと対等に過ごせる社会であってほしいと願います。そして対等に見てもらえるように自分が変わることも大事ですよね。

 

男女の出張や仕事の働き方に関しては、彼がいたから考え直せたことです。もう、後戻りもできないけど、良くも悪くも今のままじゃダメだということに気がつかせてくれました。本当に悲しい。自分で自分を見つめ直して、生き方を見つけよう。

 

 

 

 

他人に左右される人生を生きてきたのかもしれない

こんばんは、くろねこです。

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大切な人から、ようやく本当の気持ちを聞けた気がします。私が勘違いしていたことにもようやく気づきました。今まで見て見ぬ振りをして、自分が傷つかないように守ってきたけど、さすがにそれもできないくらい、現実を思い知らされました。

他人に依存する人生。

思い返すと、人生の目標を立てる時、必ず他人の存在がいたように思えます。

  • 誰のために
  • 将来誰とどうしていたいか
  • 誰と一緒にいるためにはどうしたらいいか

結局のところ、そういう前提の元に自分がどう動けばいいかを考えて、自分の人生の選択をしてきたことに気づきました。今回その仇が返ってきた。どうしてこうも他人に依存してしまうのだろうか、他人を信用しすぎてしまうのだろうか。

自分が自分を信用できていないからなのかもしれない。

誰かに応援されなくても、誰かに認められなくても、誰かに批判されたとしても、自分が自分を信じ切れていないから、他人に依存してしまうのではないだろうか。

自分の足で、自分の道を歩く。

きっと、忘れることなんかできないし、これから先もずっと引きずって、もしかしたらって運命に期待してしまうこともあると思う。それでも、相手に委ねるのではなくて、自分の気持ちに正直に生きよう。自分の気持ちに耳を傾けて、自分を偽らずに、自分を見失わないように、前を向いて歩いて行こう。