人生寄り道の連続

幸せとは何か、心の底から笑顔になれる日まで!

今の日本なら、英語を話せることはレベルを問わず武器になる。

こんばんは、くろねこです。

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ここ数日、しばし旅に出てました。とても刺激を受けた毎日だったけど、その日その日、たくさんのことを感じ、考え、思いを巡らせていたはずなのに、一つ一つ詳細に思い出せないのは脳ミソ的にヤバいのか。多分、今まで飲んできたアルコールの積み重ねで脳ミソの大半が破壊されているんだろうな…。健康面が心配になるレベル。この旅の間、ブログ更新も途絶えてしまっていたので、改めて自分の考えや感情の備忘録的にブログを書くことの必要性を感じました。習慣は大事。

中学生の頃、SVOCあたりから拒絶反応を感じ始める。

アルファベットの書き方とか、"Hello"とかの挨拶を一通り習うと文型の授業に入っていきますよね。このご時世、このレベルは小学校で習ってるんでしょうけど。そこそこ勉強には苦労しなかった私ですが、英語に関しては本当に苦手でした。まず単語を覚えるということが受け付けていなかった。もっと関連性を意識して語彙力を増やしていけばよかったんだろうけど。私にとってはただのアルファベットがランダムに並んでいる記号にしか見えなかったんですよね。理屈のないものを何百個と覚えるなんて、ただの苦行でしかなかった。

社会人になり、英語がツールとして武器になることをようやく実感。

海外では幼稚園生くらいの小さな子供でも話せる簡単な言語。それを話せるか、話せないかで、丸裸で戦いに行くか、それなりの盾と矛を装備して臨むかと同じことになってしまう。英語がちょっと話せるだけで、周りよりもワンランク飛び抜けることができるって、こんなに楽な方法というか、持ってて困るツールはないですよね。まだ日本では英語が話せることは”パソコンでプログラミングできます”っていうのに匹敵するくらい、需要があるものだと思う。だって、ちょっと探せば、楽でそこそこ高い給料が貰える英語関連の仕事が山のようにあるし。

型にこだわらずに、単語を並べるだけでも十分。

よく”英会話で使う例文”を覚えて、それが自然と出てくるまで繰り返していくと、後々その例文を応用して色々な表現ができるようになってくるとか言いますよね。でも今回の旅を含めて感じたのは、とにかく手持ちの単語をたくさん持っておくことが一番大事ということ。もう、これに尽きる。文法がめちゃくちゃでも、単語をとにかく並べれば伝わるんですもん。私達日本人が、外国の方のカタコトの日本語を聞いて理解しようと努めるのと同じように、現地の人だって私達のカタコトの英語を拾って理解しようとしてくれる。やっぱり海外って、日本とは違って様々な国の人達と共存しているだけあって、カタコト言語に対する免疫が強い(笑)。そして、そのカタコトをお互い恥じることなく、ガンガン突っ込んでいける感じも日本人にはないメンタルだなと思いました。やっぱり日常的にそういう環境で生きているから、言語が違う人達と接する機会も多くていちいち動じないのかなとも思ったり。日本は日常生活だけを考えると日本人と関わることしかないもんね。

拒絶反応がなくなるまでは、遊びの一環として英語に向き合うことにした。

興味はあっても飽きっぽい私にとって、単語を覚えるというのは今の状態だとホントに辛い。だからできるだけ興味が続くように、そして英語というものに対して嫌悪感を抱かないように、遊びの一環として英語様とお近づきになれるよう努力しようと思います。

英単語アプリ mikan

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 一応、今までもこの”遊びの一環”手法にはトライしてきたつもりで、いろんなアプリもダウンロードしてみたけど、単語を覚える面に関してはこれが一番気軽でした。まだ始めて数日だけど、英語に対するイヤイヤ感からは解放されています(笑)。

そして継続させるための見える化ツールとしてはこれ。

自分の学習時間をグラフ化してくれるのと、同じように学ぼうという意識のある人達の取り組みも見えて、モチベーションを保つには良いかなと思って。

最後に、これ。

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ミーハーな自分にとっては、Chikaさんのペラペラ具合がカッコよくて仕方がない(笑)。こんな風に英語が話せたらカッコイイなっていう純粋な気持ちを引き出してくれました。今までもわりと憧れだけで始めて、結果的に実現できたことがいくつもあったので、自分の性格的にもってこいの動画です。一つ一つのボリュームも多くないし、ジャンルも色々あるから飽きないし。そして、やっぱりなんかカッコイイし(笑)。目指せChikaさん!ということで新しいタスク追加です!!

 

 

 

 

女性の管理職登用を目指すという会社方針

こんばんは、くろねこです。

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自分の不安定さに嫌気がさす今日この頃です。ブログを書くということは自分の頭の中にある言葉を吐き出すにはもってこいのツールなのかもしれません。初めはなかなか手が進まなくても、一旦思っていることを吐き出し始めたら、勝手に文字が埋まってくる。尚且つ自分の頭の中が整理できていたり。もっと有効的に活用しようと思います。

女性の管理職比率を伸ばす。を会社方針としてまで挙げる必要性。

学生の頃、就活をしていた時はこの”女性の管理職比率”というワードに少なからず影響を受け、選択の指標として注目していたところがあった。元々私が狙っていた業界は男社会だったし、結婚や出産などのイベントがあったとしても働き続けたいと思っていたからこそ、そういうワードに敏感になっていたのかもしれない。でもいざ社会人となって、組織の中から俯瞰した時に、”この会社で女性の管理職を目指すなんて、考えられない”と思ってしまった。なんというか、自分が会社生活をしていてある意味色眼鏡で見られているというか、女をそういう扱いでしか見ていないんだなと思うことしかない。それで管理職なんかなったら、変な疑惑も持たれるし、実力ないのに会社方針だけで管理職になったとか、そんなことしか起こり得ないと思う。そもそも、管理職云々を会社方針としてまで定めなくては良いのでは。実力や飛び抜けたスキルがある人(マネジメント力があるとかetc.)は自然と上に行くだろうし、それらスキルに加えて”上に行きたい”と思うモチベーションの高い人間が上に行けばいいと思う。組織はそうであるべきで、そうであってほしい。古株から見たら、そんなの社会を知らない甘ちゃんの理想に過ぎないと思われるかもしれないが、そんな甘ちゃんだからこそ、これからの組織はそうであってほしいと願う。

結局女はナメられている。

どの会社も社内政治とは切っても切れない関係なんだとようやく気付いた。半ば諦め気味で、そう思ってしまう時点で働く意欲が削がれるんだけど。誰はどうだとか仕事ができないとかそんなことはあってしょうがないと思う。さすがにそういう陰口とか評価とか愚痴が全く出てこない組織なんて、社会どこを見ても平和主義的世界はないので、人のことをとやかくいうことは別に咎めない。ただ、この対象が女になった途端、誰とできてるや媚び売ってるだ、愛想がいいだけだとか、女だから甘やかされているだとか、顔がいいとか、スタイルがどうこうとかそんな性差別的ワードで悪評が加わる。そんなんだから、管理職になりたいとかの以前に、この会社にそんな管理職登用の対象になるまでの長期間居座りたくない。もっと実力主義であってくれ。

ただ職場の人間として普通に接したいだけなのに、勘違いされる。

男社会にいると、距離感も非常に難しい。学生のことから周りは男ばっかりだったけど、変な損得を考えて付き合う人間はいなかったし、性別隔てなく仲良く関係性を気づけていた。それなのに、社会に出た途端、しょうもない男の多さに呆れる。もっと普通に接しさせてくれ。普通にしているのに、距離感勘違いして縮めてくるやつ。自意識過剰にもほどがある。こういうとき、自分が男だったらもっと上手く距離感保って、仕事もスムーズにいくんだろうなと思ってしまう。分からないことを聞いたり、いろんな話も聞けたり、そんな単純なことでさえ、女として意識されてしまうとやりづらくてしょうがない。

会社方針として上げざるを得ない時点で、まだまだ女性の社会進出への課題は多い。

自分が今所属している会社のことしか知らないからそう思うのかもしれない。ただ、組織的にはとてもゆるい部類だと思うし、かなりホワイト寄りだとも思う。だからこそ、余計女性が働くということに対しては難しい社会であるとそう感じる。わざわざ、会社方針として上げなくて済むようになった時、男も女も性別関係なく、正当に評価されていると感じることができるのかな。組織の舵取りは、しょうもない人間が行うと組織的成長を妨げるし、部下もついてこない。管理職に成るべくしてなる人たちが、上に立って指揮をとる。だから会社は成長する。そんな会社が増えれば増えるほど、日本もマシになるんじゃないかな。当面この状況は変わらない気がするし、だからこそ、早く自分に実力をつけて、正当に評価を受けれることに時間をかけたい。

 

 

完璧主義からの脱出。

こんばんは、くろねこです。

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最近、仕事の時間を自分のために活かそうという意識が働き出しました。現状、1日の三分の一は会社に捧げているわけで。そんな貴重な三分の一、自分のためになるようにと時間の使い方を工夫中。自分の考えを整理したり文字に起こすことが苦手だったから、仕事の時間を使って、自分の考えや判断を恐れずに発信するようにしたら、一日の充実感?密度?みたいなものが今までの体感満足度として変わった気がする。ほとんど自己満に近いけど。そして時間をかけても無駄だと思うことは、適度に済ませて深く考え込まないようにした。でもって、その中途半端感で自分を責めるのはやめにした。

自分が気にするほど、他人は他人に興味がない。

自分的に”これは中途半端だったな”とか、”もっと出来たのに”とか、結局のところ自分軸にすぎない。こういう評価について自分で自分を追い詰めたって、他人からしたら逆にクオリティが良いものであるかもしれないし、もしくは自分の感覚通り、しょうもないクオリティかもしれない。あくまで他人の判断は他人軸だ。そして、結局人は自分が一番大事。他人のことなんて気にしてないんだから、自分が満足のいく、仕事の仕方であり、時間の使い方なりをすべきだと思えるようになった。

ゆるく生きる。

完璧主義からの脱出。自分の力を100%出し切ろうなんて、特にクオリティ高いわけでもないのに自負しすぎ。ただ自分のこだわりに、自分が首を絞められていただけ。変なプライドに囚われないで、自由に生きればいい。

 

中二病?本当の自分と反対の自分を演じる。

こんばんは、くろねこです。

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仕事の帰り道、電車に乗ってると、同世代くらいの男性グループが家族のことを話してました。”同棲始めなかったら結婚しなかった。子供が生まれて、自由がなくなった。奥さんが帰省中は合コンに行ってきた。結婚してから奥さんが思った以上に自分にべったりで困る。20代に結婚なんてするもんじゃないよ。”謙遜しつつ、自慢げにも聞こえる会話。とてもオタクっぽい、見た目もパッとしない人達が話している。こんな人に卑下される奥さん可哀想。男なんてどこ見てもクズだな。私はこの人達よりも、おそらく勝ち組の部類だろうに、結婚うまくいかなかったところは負けてるな。ってか、この人達は何様のつもりでそんなこと語ってるの?そういうことを思う自分こそ何様?否定したいけど、完全に人を見下している。そんな心の汚い自分が現れていた。月イチ定例の、精神的に不安定なサイクルに突入

ただの負けず嫌いだった。

単純に人より劣っているのが嫌いだった。今思うと幼い頃からプライドが高かったんだと思う。見下されるのが嫌で、見下されないようにどの方面でも努力してきた。周囲の人気者、頭脳明晰、スポーツ万能、そして異性にモテる。(ちょっと過大評価甚だしいけど、分かりやすく書きたかっただけ。)どのカテゴリに入っても、やっていける自分が自然と構築されてしまっていた。

上っ面の私の始まり。本当の自分を見失っていることに気づかずに。

ふと、自分とは何者だろうかと第三者的に振り返る。

  • 真面目そうだけど、本当は不真面目な悪いことをしてたりする。
  • 頭が良いけど、スポーツも出来る。
  • スポーツが得意だけど、文化系のことも好き。(音楽とか読書とか。楽器も弾ける。)
  • 自分を謙遜しているけど、実は自信家だったり。
  • バカっぽい発言をするけど、結構裏を考えていたり。
  • 純粋そうに振舞っているけど、実は小悪魔。
  • 世間を知らないように見せて、そこそこ人並み以上に泥沼な経験をしてきたり。
  • 一途に見せて、気が多かったり。
  • 情熱的だと思わせて、実は淡白だったり。
  • 気が強いふりをして、泣き虫で甘えん坊。
  • 周囲に気を使っているように見せて、実は自分が楽になるように生きていたり。
  • 臆病に見えて、大胆だったり。
  • 保守派に見えて、先進的だったり。

何やってるんだろう。あげたら切りないな。優等生だけどタバコ吸ってたりするのと一緒?未だに中二病なのかな。結局、表面上では、みんな貴方方を尊敬しますよって思っているんだけど、根底では人を見下していたのかもしれない。そして演じている自分に浸っていたのかも。

大きな反抗期がなかった。

小さい時からいい子にし過ぎてた。多分、少し勉強が出来たから真面目に思われるのが嫌で、こんなに捻くれてしまったのかもしれない。あと、見た目がちょっとギャルっぽかったりもするから、逆に優等生っぽく振舞っていたのかもしれない。とにかくどっちも網羅できる、なんでも出来る子でいたかったんだと思う。片寄った人間じゃないですよって暗に言いたかったのかもしれない。こんな風に演じている自分がいたからこそ、表立った反抗期がなかったのかも。だって、これを演じている時点で自分の中で自分に反抗しているから、それを表面に出す必要がなかったんだと思う。そうか、子供だった頃の私の目標は、なんでも出来る子だったんだ。これ、今日の気づき

少し自分に向き合えた気がする。

自分の嫌なところが見えて、あまりいい気持ちにはなれない。けどちょっとだけ、自分とは何者か、分かった気がする。こういう自己分析は今までしてこなかったな。自分を表現することが苦手だったから『言葉にできる』に惹かれてしまったんだけど、たまには深く自分と対話をする時間を設けることも良いかもしれない。また一つ自分を見直す良いきっかけになった。まだ読み始めたばかりだけど、”内なる言葉”に耳を傾ける努力をしようと思う。

「言葉にできる」は武器になる。

「言葉にできる」は武器になる。

 

 

 

【コードブルー】家族の絆、大切な人を想う。

こんばんは、くろねこです。

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今期のドラマは【コードブルー】だけは欠かさず見てます。毎回テーマがヘビーで都度息が詰まるけど。月曜日唯一の楽しみが来週で最終回とか寂しい。今期はThe医療っていう描写が少なくて、ちょっと恋愛ドラマに片足突っ込んでるっていう批判もあるようだけど…今の私に足りていない何かを補ってくれる、大事な栄養ドリンク的存在になっていたんだよな。

命だけではなくて、人と人の繋がりを考えさせられる。

医療ドラマだけど、命の大切さだけに焦点を当てていない。医者のドロドロした部分が描かれているわけでもない。しっかりと各登場人物のストーリをしっかりドラマ立ててくれている。そして必ず人と人が心で繋がっていることがわかる描写がある。だからかな、毎回息が詰まるくらい考えさせられるのは。本当に、心の底から、自分の命よりも大切にしている人に万一のことがあった時、人はこういう気持ちになるんだと思い知らされる。というか気づかされる。そして、そこまでの想いを抱くような人が果たして今の自分の中に存在するのだろうかと同時に思う。そんなことを思う自分は人として大切なものを失っているような気持ちにもなる。万一の時に、お互いがお互いを思えるってすごい。完全に私情だけど、私が大切にしたいと思っている人は、きっと何かがあれば、私や私達ではなく別な人のことを思い、心配し、考え悩み、悲しむのだろうとそうはっきりわかる。だから余計に切ない。そしてそこに寄り添うこともできない自分もいることも分かる。それは結局のところ本当に私にとって大切な人じゃないからそう思ってしまうのかな、とかも考えてしまうから余計に苦しい。そんな関係性、そこまでして一緒にいる価値があるのだろうか。仮に二人で一緒にこれからの未来を築いて積み重ねても、万一のことがあった時には、あなたの心はきっとここにはない。

家族の絆の強さに今頃気づく。

親は子を思い、子は親を思う。たとえ憎しみあっていても、気持ちがすれ違っていても、離れていても、心の底ではしっかりと結びついている。だって血の繋がった家族なんだから。そこに他人が干渉する余地もないし、立ち入る権利もない。だから他人の私は関わってはいけないのだと身を引くしか他なかった。

これから先、自分にも絆が芽生えることはあるのだろうか。

一度強い絆を知ってしまったら、それ以上を超えることはできないと立ち直れない自分が目に見えて分かる。その現実を見るのが怖くて、知らず知らずに絆というものから距離を置いている自分がいる。本当は誰よりも絆を欲しているのに。本当に大切な人と、心から結ばれたい。そう願っているのに。お互いを1番に思える関係。もう半ば諦めというか、自分にはふさわしくないもののようにも思えてきてる。だから今、自分に縋っているのだと思う。

 

 

 

天才とバカと小利口。

こんにちは、くろねこです。

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気持ちが落ち込んできたので、ホリエモンさんの動画を見るの巻。です。ちょっと元気が出てきたので、備忘録的に残しておく。

生きてる限り、ゼロリスクなんて人生有り得ない。

天才とバカは紙一重。

バカはリスクを考えない。やりたいことに飛びつく。

小利口

中途半端に後先考える。リスクを考えて、行動に移さない。

かかるコストとその対価。

大学在学中、約5〜10万円/月支払う。

お金を払っている側なので、やりたいことだけやる。自主性が生まれる。自分で意識的に取捨選択をする。

新卒採用されると、何も生み出していないのに約20万円/月貰える。

お金を貰っている側なので、やりたくないこともやらないといけない。会社に守られている部分もあるが、自由を奪われる。考えて行動することが自分の意に反していることもある。

とにかく数を打つ。

当たるか分からなくても、仕上がりが60%でも、とりあえず打つ。

悩んでる時間が勿体無い。数が打てれば何かのタイミングでヒットを打てるかもしれない。単なるラッキーでも良い。チャンスが巡ってくる回数が増える。

人生を楽しんで生きるために何をするべきか、を考える。 

はい、正にこれを模索中です。

  • 保守的な考えをやめること
  • リスクを恐れないこと
  • 躊躇しないこと
  • 完璧主義思想を払拭すること
  • プライドを捨てること
  • 周囲の目を気にしないこと

なんか全部”〇〇しないこと”になってるところが気にくわないな。これをポジティブに変換できるようになってきた時、きっと人生の楽しみ方を掴みかけているのかも。

 

 

 

 

 

 

【27時間テレビ/ホンマでっかTV】生きるのに必死じゃない人は精神疾患になりやすい?

こんばんは、くろねこです。

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今年の27時間テレビのテーマって”にほんのれきし”なんですね。特に興味もなかったから気にしてもなかったけど、最近の番組としてはなかなか飛び出てるテーマで面白いかも。24時間テレビはいつもの如くああいうテーマなので全く見る気がしなかったけど、今回の27時間テレビは毛色が違うようなのでBGM的に流し中。そしてホンマでっかTVも無理くり”れきし”に結びつけて放送中。で、これ。

ヒマだと鬱になりやすい!?

れきしと鬱とどう結びついて辿り着いたのか覚えていないけど、確か、医療技術が進歩すると精神疾患が増えるって話からの派生だったかな。こんな言葉が耳に入っちゃったら思わずテレビ見ちゃうよね。統計的に、受験戦争真っ最中の時期とかは自殺とか精神疾患での入院率がガクッと下がるそう。生きるために、何かしなきゃいけないってことが目の前にある時は、そのことでいっぱいなので、他のことを考えるヒマがない。逆に生きることに必死さを感じなくなってヒマになると色々な考えが巡って鬱になりやすいんだって。これはねー、賛否両論だと思う。ほんまかー?

鬱ってそれなりのきっかけがあるんだよ。

どんなに元気でポジティブな人だって、何かをきっかけに精神的にやられちゃうことがあるんだよ。一生懸命生きてき過ぎて、プツッと糸が切れるように変わっちゃう人だっている。そのプツッと切れた瞬間のことを”ヒマ”という言葉に置き換えているならまだ分かるかな。

一度走ることをやめると、色々考えてしまう。

まさにこれだよね、この止まっている時間に余計なことを考えちゃうんだよね。本当にこれでいいのか、今までのことはなんだったのか、これからどうするのか。今自分自身このタイミングにはまっちゃっている気がする。

抜け出すにはヒマじゃなくすればいい?

今日はテレビの感想。でも結局、この鬱々とした気持ちの発症を抑えるにはヒマな時間をなくすことも効果があるんだと教えられた。立ち止まることをやめるということは動き出すということになるから、そのエネルギーを溜めるのがまた大変なんだけどね。たまにはテレビを見るのもいいかも。いつもとは違う情報を入れて、自分の考えに刺激を与えることも大事だよね。